線維筋痛症で妊娠した話。
みなさん、こんにちは。長いことブログを書ける余裕がなく。気がついたらこんなに期間が空いてしまった。
今回はちょっとネットの片隅にでも記録を流しておきたいので書いておきます。
今年の3月12日に第一子を出産しました。
線維筋痛症という割と厄介な病気を抱えて妊娠、出産したので、振り返っておこうかなと。とりあえず妊娠期間のあれこれをまとめました。
今後、持病を抱えて妊娠を希望している誰かの役に立つかもしれないなと。(私自身、同病さんの妊娠出産のブログ記事に何度となく励まされたので…。)
勿論、これはあくまで私の場合なので役に立たないかもしれないけど。
正直、このコロナ禍で妊娠した妊婦さんたちは、それだけで楽しい妊婦生活ではないとは思うんですが、持病ありの私は言わずもがなかなり大変でした。
なので、読んで不安になりそうな人は回れ右してください。
そして、妊娠中は健康な人たちでも、一人一人経過が違います。
※線維筋痛症でこれを読んでいる人へ
同じ病気の人でも、医師の考え方やこれまでの治療方針、体の状態が違うので、ああ、こういう人もいるんだな、くらいでいた方がいいかと思います。
注意)この記事は妊娠期間を通して少しずつ書き足していき、産後4ヶ月ごろに書き上げたものです。現在進行形と過去形が混ざっていますがそういう理由です。
そして書き足していったのでとても長い。一万字くらいあります。お時間ある時にでもどうぞ。
前提として私の線維筋痛症について
線維筋痛症は13歳発症です。診断ついたのが20歳頃で、その時点でかなり重症でした。
今26歳なので人生の半分ほど線維筋痛症と生きてます。(→2021.06.23で27歳になりました。)
線維筋痛症のステージⅢ〜Ⅳ程度を行ったり来たりといった感じです。
一般的な線維筋痛症の薬はほぼ全て試しました。医療用麻薬も使える限界量使いましたが、劇的な効果がないため4〜5年ほど前に中止。
その後は心理士さんによる認知行動療法、理学療法士さんによる運動療法を軸に治療。(現在は結婚に伴う転院で運動療法のみ受けています。)
痛みに伴い、四肢の筋力低下があり、リハビリでの回復した結果、身体障害者手帳は3級から5級になりました。
その他特筆すべき既往歴としては他に気管支喘息(寛解)がありました。
結婚を機に妊娠を希望していたため、医師と相談ののち薬は結婚した時にほぼ全部断薬しました。元々痛みに薬の効果はあまりなかったので…。
妊娠時に処方してもらっていた痛み止めはカロナール(ベースの痛みには効かないが、天候などの外的要因の痛みなどにはちょびっと効く気もするレベル)。あと神経過敏に対して十全大補湯を飲んでました。(疲れやすさはマシになるか…?のレベル)
医療用麻薬もそうですが、強オピオイド薬を始め、いろんな強い薬も長い間使っていたこともあって、カロナールと漢方以外を断薬してから妊活開始までは、1年以上の期間をあけました。この辺り、正直妊娠までの期間を空ける必要はなかったとは思いますが、子どもになんらかの障害があったとき、実際は無関係であっても「薬やめてすぐだったから」「薬やめなかったから」と自分を責めるのならやめてから時間をおいてからの方がいい、という医師の言葉があって、私は自分の性格からも、やめられるならやめておこうとなりました。そもそも医療用麻薬でさえ効果覿面な痛み止めにならず、運動療法に重きを置いての治療に切り替えてたこともあったので、まあ薬やめて少し様子みてもいいかな、と思えたというのも、この判断には大きかったと思います。
さらにその後、一度流産を経験したので、薬をとめてから今回の妊娠に至るまでは、2年半くらいはかかってます。正直その期間は痛みや様々な症状にまともに薬を使えず、心折れかけました。あー、薬戻して妊娠諦めようかな、と、何度も薬を戻すか悩みましたし、なにかと体調に翻弄されることも多かったです。同じ病気の人でこの辺悩んでる人がいたら、主治医と相談して自分自身が納得した上で許容できる限りで薬を使う方がいいと思います。本当に。許容できないとなると、もうひたすら痛みとの我慢比べになるのがつらいところ。(注:線維筋痛症の痛みは生活に支障は出ますが、基本的にはどんなに強い痛みがあっても死に至るものではないので我慢比べという形になりがちです)
今まで以上に体調のコントロールができないことで、ちょっと精神的に追いつめられたりして一時期、夫には大変迷惑かけた自覚あります。よく支えてくれたと思います。ありがとう。
妊娠初期
妊娠初期はひたすら眠い、怠い、線維筋痛症の痛みが酷い、という感じでした。
夏真っ盛り、7月下旬に妊娠判明したのですが、コロナ禍での緊急事態宣言が解除され、イベントごとなど徐々に始まってた時期でした。
(その日は大好きなミッフィーの展覧会が銀座で開催されてて意気揚々と足を運んだ日でした。こうして振り返ると色んな意味で最高に幸せな1日だったと思います。)
妊娠判明後はしばらくはほぼほぼいつも通りだったのが、日を追うごとに眠気が強くなっていき、日中ほぼ眠ってる日も多かったなと思います。12時間くらい寝た日でも昼寝は欠かせなかったし、1日トータルで見た時に起きてる時間の方が短かった。
線維筋痛症の方は妊娠判明して1ヶ月経ったあたりから、徐々に、でもはっきりと痛みがキツくなってきました。ただでさえ疲れやすいのに妊娠したことで疲れやすさがさらにパワーアップされてしまったのもあって、痛みに対応できる元気もなく、ベッドで過ごす日々でした。
しかし、横になりすぎて筋力もまた低下してさらに痛みも強まるし、負のループがすごかった。どうしようもなくてベッドでひたすら溶けてました。
そしてつわり。これはラッキーなことに私はまだ比較的軽い方で、結局一度も吐くことなく終えられました。吐かずに済んだのは我ながらラッキーでした。
とはいえ、ごはんの炊けるにおいで気持ち悪くなる、食べてみたら吐き気がする、食べた後気持ち悪い、くらいから始まって、最終的には、セブンイレブンのレタスサンドと鮭おにぎりしか食べられない日が続きました。
とりあえずレタスサンドと鮭おにぎりは吐き気もなく食べられたので、この頃は夫にほぼ毎日セブンイレブンで買ってきてもらってなんとか乗り切った。ありがとう夫。ありがとうセブンイレブン。
元々、食べ物の好き嫌いがない人間だったのに、本当に他のものは受け付けなくなってしまって、気持ち的にもちょっと落ち込んだりして。大好きなメーカーの笹かまぼこですらそんなにおいしく感じなかったときは正直ショックでした。
つわりが少し落ち着いてきて、食べられるものが増え始めた頃、今度は、食べられるものはコレ!コレならいける!!みたいにはっきりわかって。これまでよりぐんと種類は増えたけどこれまで経験したことないくらいの偏食がありましたね。
揚げ物はほとんど受け付けない状態でも、異様にとんかつが食べたくなったりして。実際に食べてみると、これまでにないくらい脳内麻薬バーー!ってでてるんじゃないかってくらいおいしく感じて、一時期週1ペースで食べに行ったりしてました。
(偏食はその後落ち着いたけれど、妊娠中全期間を通して、とんかつ、納豆、サンドイッチが妊娠する前よりおいしく感じてよく食べてます。妊娠後期はひたすら納豆食べていました。産んだ後どうなるんだろう…)
→産んだ後は妊娠中ほど食べたくなることはないです。元に戻りました。
ごはん食べるのが好きな人間なので人生初の偏食に戸惑ったし食べられるものが少しでもあってもとにかくしんどかったです。食べられないとか好きなものが不味く感じるとかしんどい。
とりあえず初期は胎動を感じることもない分、体調不良を感じるたびに「酷い痛みも体調不良もいくらでも我慢するから、頼むからお腹の中で元気に生きててくれ」という気持ちでひたすら過ごしてました。
コロナの感染を防ぐためにもだし、体調もあまりいいとはいえなかったしで、ひたすら家で過ごして。
もう気持ち的に全然落ち着かなかったです。一度流産経験してるっていうのもあったから、とにかくすごくピリピリしてました。
健診のたびに手が震えるくらい緊張して、エコー見るの怖かったです。
帝王切開での出産が決まったのは、まだ妊娠3ヶ月の頃でした。
主治医と産婦人科の先生に痛みの状況や体力のない状態などから帝王切開を勧められました。分娩台に乗っての体位を維持するのが短時間であっても正直持病の痛みできつくて。それ故に自然分娩に臨むのは厳しいだろうという判断でした。主治医からは、「自然分娩にトライするだけしてみるとして、陣痛自体は持病の痛みに比べたらそこまで怖がる必要はないけれど、産む途中で持病の方の痛みでどんどん体力削られることが考えられる。途中で力尽きると、場合によっては赤ちゃんが危険に晒される可能性が高い」と言われました。結局のところ、「線維筋痛症で、初産で予想される長時間にわたる出産で、分娩体位を維持するのは困難」これが帝王切開での出産にするとなった1番の理由でした。
(私が出産した大学病院では無痛分娩はやってないということも一つの要因です。無痛分娩ならこの辺の事情ははクリアできたかもしれないところなのですが、なにせ線維筋痛症持ちの妊婦は近隣の無痛分娩やってる個人産科クリニックでは受け入れられないということで、大学病院で帝王切開という形で納得しました。)
帝王切開については、赤ちゃんが無事に生まれてくる方が優先なので、妊娠初期の時からお腹切られるぞー!ってなってました。
それでも意識ある中でお腹切られるのはめちゃくちゃこわい。出産までに覚悟決まることあるのか?って感じです。
→いざ出産に向けて入院したあたりで覚悟決めていつでもどーぞ!な気持ちになりました。
それと、母子手帳発行の時点で、線維筋痛症故に心配なことがある、と保健センターで相談しました。
妊娠中期
やっとのことで安定期と言われる時期に入った頃には、つわりもある程度は落ち着いてきました。つわり明けてすぐ、ごはん食べられる感動がすごかった。つわりで減った分の体重はあっという間に戻りました…1ヶ月で2キロくらい体重増えて、母子手帳に赤字で「体重注意」と書かれるなどしましたね。(まあその後は体重激増になることはなかった上に最終的に思ったより増えずに助産師さんに「全然増えなかったねえ…もっと増えていいんだよ」なんて言われた)
持病の方はじわじわ酷くなってきて。まあしょうがないよなあと思いつつ、辛いなら寝てすごすを徹底してました。
酷くなってきたなとは思ったけれど、痛み以外に関しては比較的安定していたのと、コロナの波が一旦落ち着き始めた時期で、この時期は感染対策して少しだけお出かけしたりしました。
一人で出かける事はほぼなく、夫と一緒に美術館行ったり、映画館に行ったり。
お友達に会ったりもできました。念願の京橋千疋屋フルーツパーラーでのアフタヌーンティーセットは最高においしかったです。コロナも相まって、引きこもりまくってたあとのお誘いで、一緒に行ってくれたお友達には感謝しきれません。あの時はありがとうございました。
あとこの時期にお友達と夫と4人でおいしい水炊き食べに行けたの、嬉しかったなあ。コロナの情勢がある程度は落ち着いてた時期だったのとお店的にも密でもないお店だったのもあり、おいしいご飯楽しめて本当よかったなと思います。(きっとこの先しばらくああいうお店には行けない気がしてるので。)
胎動は初産の人で20週くらいからー、とはきいてたけど、分かるようになったのは18週くらいで初産妊婦にしては割と早めでした。
おかげでそのあとはお腹の中で生きてるんだか死んでるんだかわからなくてとにかく不安、なんていうことはなくなりました。
胎動をどんどん感じやすくなっていって、産科の先生にも「ここまでとてもよく動く子なかなかいない」と健診時に言われるくらいはとてもよく動いてました。中期から後期にかけてはエコー写真撮れないくらい動くときが何回もあり、健診でエコー写真もらえないことも。
私が持病の痛みで死にそうなくらい痛い辛いと思って布団に溶けてるときにお腹蹴られると、「あ、この子は私とは違って元気なのね。よかった」と安心したりしました。その蹴りがとても痛いこともありましたが。まあそれはそれで。今はいい思い出です。
帝王切開の手術日程の予約を入れなきゃいけなかったのが20週あたりで、この頃にはお腹の子の出産予定の日程も決めました。初産だからそう簡単には産まれないだろう、赤ちゃん出来るだけお腹にいさせてあげたいね、ということで、38週過ぎまではきっとお腹にいてくれるだろうということで、38週後半の日に手術予約。
助産師外来では助産師さんと産後、体が痛い中で赤ちゃんをどう面倒見ていくかについて相談。世話をする中で何が心配なのかを共有しました。
事前に対策できることは対策をしようということでいろいろとアドバイスも受けました。
線維筋痛症の方のリハビリはなんとか隔週くらいで通ってました。お腹が張るとかがあれば即中断で様子見。つわり期間で落ちた筋力を少しでも戻すのと、出産に備えての体力づくりメインでリハビリしてました。
妊娠後期
後期入ってすぐ、新居に引っ越ししました。新しい家はだいぶ広くなって、バリアフリーで、家事の自動化もある程度できて安心したりして。
市を跨いで転居したので、保健センターの担当の保健師さんに新しい担当の方に引き継ぎをお願いしました。
で、母子手帳関係の手続きをした際に、細かくいろいろと質問されたので、病状やら赤ちゃんとの生活について予想される困難、助産師外来で言われたことなどを共有。
後日、市の担当の保健師さんと助産師さんが家庭訪問。その際3キロの赤ちゃん人形を持ってきてくれました。家の中の動線確認をその人形使ってシュミレーションしたりしました。(私の場合、赤ちゃんを痛みで落としかねないなどの心配が主だったので、実際こういうシュミレーションは有効でした。移動させる際気をつけること、抱き方、抱かずに移動させるために使うハイローチェアをスムーズに部屋内で動かせるか、ベッドへの移動など。いきなり生まれたての新生児で本番になってたら正直痛いし辛いし怖いし困ったと思います)
この時担当してくれた助産師さんは、産後も2回ほど訪問してくれて、生活の中での細かい相談に乗っていただきました。ありがたや。
後期に入ってからも胎動は相変わらず元気いっぱいで。赤ちゃん自身の力も強くなってきたのと、右脇腹の脂肪も薄いところに足をググーっと押しつけたりしてくるようになりました。これがめちゃくちゃ痛い。
外から足がわかるくらいの力で押してくるし、ちょうど神経に触るのか激痛走るところで。それもいきなりなのでたまにうめいたりしてました。その足触るとびっくりして引っ込めたりするのは可愛かったんですけど、日に何度か同じことをやってくるのでその度にとにかく痛かったなあ。臨月入ってからはそこまで痛くしてくることは減ったけれど、それでもやっぱり足をグーっと押してくるのは産む当日まで変わらず。せまかったんだろうか…。
浮腫が出始めたのも妊娠後期から。と言ってもそこまで特別浮腫んでるわけではないのですが、少しの浮腫でも関節の痛みをとにかく強くさせてつらかった。パーカーのファスナーが閉められないとか。朝起きたら指が一本もまともに動かないというのが出産するまで続いてました。
→出産後、指の浮腫は痛みが出なくなったのは産後1日経過してから、2ヶ月近くで浮腫自体は完全に解消されました。
浮腫に関しては、元々血圧が低いので産科としては特別何かできるわけではないと言われ、着圧ソックス履いて、マッサージして過ごしました。とにかく痛みもひどくなってきたので、浮腫での痛みはせめてなんとかしたいと、線維筋痛症の主治医に相談して出産までの間、妊娠中に飲める浮腫に効く漢方出してもらいました。(この漢方、浮腫は今よりは酷くはならない、という程度の効きでしたね)
腰痛がとにかく酷くなってきたのも、線維筋痛症の全身の痛みがとにかく酷くなってきたのもこの頃、9ヶ月過ぎたあたりから。日中ベッドに横になって過ごす時間が増えました。仕方がないこととはいえ、ひたすら耐えるしかないので、とにかく自分の気持ちが落ち込むようなことがないように気を配って過ごすようにしてました。
それに、夜あまり眠れない。トイレに起きる回数も多いし、寝付きも悪いし、元々痛みで夜中起きることが多いのもあってとにかく寝不足。これも地味につらかった。
あと、この頃に帝王切開向けのマタニティクラスに参加。出産する大学病院では、地域の周産期母子医療センターということもあり、扱ってるお産の4割が帝王切開とのことで、予定帝王切開の人向けのマタニティクラスがあったので、これはいい機会と受けました。
夫と二人で必要なものの確認や帝王切開での麻酔についての説明やら聞けたのは良かったなあと思います。予定帝王切開を決めてるほかの妊婦さんと少しだけお話ししたことで、「いろんな理由でここにいる人みんな赤ちゃんのために帝王切開にするって決めたんだよな、私だけじゃないんだ」と思えたのも結構大きかった。
そういえば、妊娠後期に入ったあたりから、お腹がよく張るように。
横になってれば治るなーって感じだったんですが頻度は多め。疲れてる日だと5分おきに張るときもあったりしてドキドキしたりしましたね。
診察のときに相談したりもしたのですが、切迫早産になったりもしてなかったので、とりあえずお腹張るなら休んでねーみたいな感じ。一応張り止めの薬を頓服でもらってはいたものの、横になったら落ち着くので出番は少なかったです。
が、いよいよ臨月が近づいてきた35週になって健診で突然、「子宮頸管、前回の健診から2週間で結構短くなってる!切迫気味だね!週数的にそこまで心配しすぎなくていいんだけど、短くなってるスピード早いからしばらくの間家で安静にしてて!!」と。「このまま帝王切開の日まで赤ちゃん待ってくれないかもしれないね!今35週だから、うちの病院なら仮に今すぐ産まれても全然問題ないから安心してね。でも、もし急なお産になって帝王切開するのも間に合わなくなったら、自然分娩です。そこまでのスピード出産なら体の方もお産耐えられると思うから、そうなったら頑張ろう」なんて言われ。
(……いやいやいやいや。今なんて言いました?自然分娩???妊娠3ヶ月からずーーーーっと帝王切開ね!って言われてそのつもりでやってきていきなり自然分娩示唆されても、え、え、え???)ってなりながら「そ、そうなったら自然分娩がんばります…」って答えるしかなく。
本当に、めちゃくちゃ動揺しました。多分多くの妊婦さんは、自然分娩のつもりがある時いきなり帝王切開の方がいいと病院で言われて動揺するんだろうなと思いつつ、私の場合自然分娩になるという前提がそもそもなかったので、帝王切開のつもりが自然分娩になるかも!という言葉に動揺。
帝王切開が決まったときは、正直「この子がまだお腹で成長したいであろう時に、私が体力ないばかりにこっちの都合だけでお腹から出すの、ごめんね。」なんて思ってたんですけど、いざ予定より早く出てこようとするかもと言われて、それがしかも自然分娩になるかもしれないね、なんて言われると「ごめん、手術の予定日までお腹にいてくれ」ってなりますね。身勝手なものです。
流石にその日は動揺しすぎて、健診から帰宅後、実家の母(4人産んでる)に「どうしよ〜!!」って電話しました。母の「大丈夫!」があれほど心強く感じたこともなかったです。ありがとうお母さん。
とりあえず正期産入る37週まではお腹にいて欲しいよね、ってことで、37週の健診・術前診察の日までの間は自宅での安静指示を出されました。
(安静指示出されてから気がついたんですけど、そういえばトイレに立つだけでお腹張ってました。まあすぐ治ってたんでそんなもんかなと思ってたんですが、ほかの妊婦さんもそんなもんだろうなー思って、中期ごろに切迫気味だったと言われたと言ってたマタニティクラスで一緒だった妊婦さんに話してみたら「いや、さすがにそれは張りすぎだよ!」とか言われて、「あ、大人しく安静にしてよう」って思いましたね…。)
とりあえず安静にしまくったのがよかったのか、無事に帝王切開予定の日までお腹にいてくれました。よかった。
この時期はひたすら弁当やら出前やらでご飯乗り切ったし、お昼ご飯もレンジアップの食品に頼り切り、なんとか乗り切りました。
出産のための入院までそんなこんなでなんとかお腹にいてくれて、無事に予定通りに入院できた時は本当にホッとしました。
36〜37週は、帝王切開に向けて術前検査を受け、麻酔科の先生の診察も受け、いよいよ、という感じ。
麻酔科の先生には術後の麻酔や痛み止めに関して、線維筋痛症の主治医に言われた「使える痛み止めも麻酔もガシガシ使って、抑えられる痛みは全部抑えてほしい」というのを伝えました。線維筋痛症は、様々な刺激を痛みと捉えてしまう脳の誤作動と言われていて、痛みも大きく感じやすかったりします。強い痛みはその後線維筋痛症自体の悪化も招きかねないので、そのあたりの予防も兼ね、使える薬はとことん使って痛みを抑えてほしいと伝えました。
あと入院に向けて看護師さんとの面談もありました。病棟の看護師さんや薬剤師さんに伝えるべきことはないかとか。私の場合痛みがどうなるかわからないので、そのあたりについてと、基本的に杖歩行なので帝王切開後の歩行がより大変だとかそういう話だったかな。
だいたいこんな感じで、さあ、38週で入院して出産へ…という流れでした。
やっぱり今振り返ってみると、妊娠全期間通して痛みはとにかく強かった。体が動かせないことで筋力が落ちて余計痛みも強まったり、妊娠特有のトラブルも追加されて体調は思うようにいかない日々でした。
産後は産後でこれまた体力的にきつい(現在進行形)けど、妊娠中はお腹の子を守らねばというのがまず第一にあって、コロナの感染も怖くて気を張ってることも多かった。そういう意味では精神的な余裕もあまりなかったなあ。
妊娠中は体の面で辛いことが多かったけど、今我が子を抱けていることがこの上なく幸せなので、頑張ってよかったなあと思います。支えてくれた家族や友人たちに感謝です。
病気持ちが妊娠を考えるとなった時に、まずは主治医と(私の場合は担当の理学療法士さんもですが、)妊娠した場合の治療方針についても先にすり合わせはしておいたほうがいいなと思います。やっぱり妊娠中は薬が使えないなど制限が多い分、先に不安なことや心配なことは相談したほうが安心感が違う。薬も使えない体力筋力も落ちてしまうのを前提にどうしていくかの心構えをした上で妊娠してよかった。
あと、妊娠中に地域の保健センターの保健師さんと助産師さんに、産後の生活について相談しておいて本当によかったなあというのも個人的には思いました。
私の場合は、産んだ大学病院の助産師さんとも外来で相談できたのもありがたかった。
妊娠中から病気を悪化させずに育児していくために抱っこ紐はどういうのにしたらいいか、どういう育児アイテムがあるとよさそうか、考えられるトラブルと対処法などなど話しておいたことで、産後の生活にものすごく大きな不安を抱えずにすみました。
必要なことがあれば大学病院から保健センターにも連絡してくれたりもして、情報共有してもらえたのもありがたかった。
すごく長くなってしまった…。
まあとりあえず、妊娠を考えて薬を減らして、薬を止めてってなってから、出産に至るまで、辛い苦しいもういやだ!って何度もなったけれど、ここまで来られたのは夫を始め、周囲の支えがあったからだなと改めて。本当に感謝しきれません。
あと、私の体調の悪さなんて関係なく、お腹の中でちゃんと元気に育ってくれてた息子。君が元気でいてくれたからがんばれました。ありがとうね。
出産と育児についてはまた後日まとめることにします(たぶん)。いつになるやら。