佑ごはんの時間。

気圧が天敵な新米主婦のごはんと生活。

みんなそれぞれ、頑張っている。

 

 

世界的に有名な歌手のレディー・ガガさんが、線維筋痛症を患っていることを公表しました。

わたしの持病でもあるこの線維筋痛症、多くの人たちが初めて聞いた病気かもしれません。

 

多くの同病の患者さんたちが説明したり、ニュースでも多く取り上げられてますので、今回は病気についての説明をする、ということをあえてわたしはしません。

そういうことはもうたくさんの情報が出溢れかえっているので。

 

でも。病気がある人が特別に「頑張っている」とか、「かわいそう」とか、そんなことはないってことだけは言いたい。

わたしは病気持ちですが、そりゃ不便はあります。まあ健康な時に経験することはない経験や症状や困ったことは溢れてます。でも、それはうまく工夫したりすれば付き合っていけることもあったりするのです。工夫はいるけど「健康な人より頑張っている」という認識はありません。

 

だって、健康な人もそれぞれ頑張っているのに、なんでこちらだけが特別になるのでしょう。

仕事に人間関係に、毎日の生活に、それぞれ頑張っているでしょ、と思うのですよ。

 

誰が一番辛いとか大変とかそういう話は、あまり好きでないのですよ。

みんなそれぞれ悩んで大変で、不安で、辛いことも、苦しいこともあって。

わたしはたまたま病気がそれを占めてるけれど、健康な人だって他のことで、それこそわたしがあまり悩まないことで悩んでいるだろうって。

 

だから同情の眼差しを向けないで欲しい、と思うのですよ。

 

勿論、まあ人より大変な場面は多く見えるかもしれないのだけど、そんな時は助けてくれたらそれでいい。わたしも他の人が大変だったり辛かったり苦しかったりしたら手を差し伸べたい。

 

それは病気だとか関係ないことなんじゃないな。って話ですよ。

 

病気があるからの苦労があるように他の人だって仕事してるならその苦労もあるし、学校に行ってるならその苦労もあるし、と。

誰が一番とかそんなの全然楽しくない。平和じゃない。

同情の目っていうのは、かわいそうだという目というのは全然、対等じゃないんじゃないかと。

 

みんな頑張ってるのだからそれを認められるだけの人間でありたいし、そんな社会になって欲しいのですよねぇ、夢見すぎかしら、なんて思いつつ、まあせめて自分はそうありたいなと。そういうふうに改めて思ったり。

 

みんなそれぞれ、頑張っている、それだけの話なのになあと。

かわいそうとか言われたくないなあ。