おいしいはしあわせ。
ごはんを作るという行為がすきです。
しかし、ここ数年、料理らしい料理から離れてました。高校一年生の時の調理実習から、今年の3月まで包丁も持つこともなく過ごしてきました。
痛みの病気というのは実に厄介なことに、わたしの場合負荷をかけると痛みが強まりますし、それに限った話ではなく、痛みで鍋やフライパンを持つのに勇気がいる。
さらに言えば普段の痛みよりさらに強い痛みが突然やってきた時に、包丁や鍋を落としてしまって怪我をしてしまうリスクがあったりということもあって、痛みがひどくなってきてから離れていたのです。
とはいえ、これから先ずっと料理をしないというのも無理な話だなぁと思い、主治医に相談しました。そこで料理をリハビリがてら再開して、もう5ヶ月ほど経ちました。
ごはんを作るって、すこし手間はかかるけれどいいリハビリになるのです。
最近はごはんを作るのがとてもすきで、たのしい。
なにを作ろうと考えてる時間も、レシピを眺めているのも、スーパーで食材を見ている時も、包丁で切ったり、煮たり焼いたりの過程も、わたしにはとてもたのしくてしあわせな時間。
誰かにごはんを食べてもらって、おいしいといわれるのはしあわせなことだし、一緒にごはんを食べるという時間って愛おしいものだなとも思うわけです。
勿論一人での食事もすきですし、外食もたのしいと思うのですよ。
なんであれ、ごはんの時間は尊いと思ったり。
おいしいはしあわせなことです。
わたしは特段料理が得意なわけでもないし、病気のこともあって、料理でもできることが限られます。
それでも料理が楽しいと思えるのは母がうまくやり方を工夫して料理をするのをみていたからでしょうか。
母も病気を持っていまして、簡単でおいしく作れる工夫をたくさん持っている、というように思うことがたくさんあります。
そんなわたしの母が教えてくれた料理で特に好きなのはオリーブチキン。とても簡単、おいしい。しかし割と知らない人も多いそうで、作り方をよくきかれるのですよね。
おいしいので広まれ!ということで。はい。レシピでもそのうち載せようかなーと思ってます。
しかし料理をよくするようになって、ふと、得意料理を言えるまでになりたいなと思うことも増えました。以前はそんなことなかったのに。
そこそこのレパートリーはあるものの、これは得意ですと胸を張って言えるような料理はあったかしらとよく思うのです。
ハンバーグ、肉じゃが、トマト煮、そぼろ、餃子、肉団子、三色丼、あさりの酒蒸し、ジャーマンポテト、オリーブチキン、春巻き、青椒肉絲…とまああれこれ作ってきたものを思い浮かべるものの、んー、なんというか、これは自信あるよ!!というものが見当たらない。
今はなんというか、料理することを楽しんでる節が強い。
それで、作ったものがおいしいと人に言われるのはしあわせで、また同じようにおいしいと思ってもらえる料理を作るというのはなんとも高度な技なんだろう、とも思うのです。
得意料理をあげられるまで料理をしていきたいなぁと思うけれど、その域まであとどれくらいかかるのかなとも思います。
今のところ唯一自信があるといってもいいものはさっき言ったオリーブチキンでしょうか。それだけはまあ、失敗したことはないですし。でも得意料理とも違うような。
それにしても、自分が作った料理を、家族や友人が口にした時、おいしいと笑ってくれるのを見ると、あぁ、つくってよかったなって心底思う。また料理作りたいなと思います。
社会にはおいしいと伝えるのが苦手な人もいるみたいですが、おいしいとき、にっこり幸せそうにしてくれてたら作った側はまた頑張りたくなるものなのかもしれません。
あと、ごはん作った時にアドバイスくれたりこういう方が好みとか言ってくれる人もわたし個人的には嬉しいなーと思います。その人それぞれで好みって違いますし、家ごとに少し変わってたりします。
例えば肉じゃがは牛肉派か豚肉派か、はたまたにんじんを入れるか入れないか。とか、家ごとに違うこともあったりするのですよね。
「おいしい」と言ってくれたうえでのアドバイスも、「これこうした方がもっとおいしいと思う」とか。そういうのは参考になるので、作るときにあれこれ試して、あ、これ自分も好きだなあと思う味ができたりする発見はありがたいです。
そして、ごはんを作るようになって、Twitterなどで写真をあげるようになりました。元々はわたし自身の記録とモチベーション維持のためでしたが、いろんな人に反応貰うようになりました。
Twitterでも料理が好きという方たちがおいしいレシピを教えてくれるようになったり、こうすると楽だよということを教えてくれたり、このごはんはどう作ってるの?ときいてくれたりと、今までのつながりでも会話の内容が幅が出ました。
ごはんって偉大だな…みんなごはんだいすきなのですよねきっと。
食事という行為は生きるために外せない行為です。
だからこそ、義務的ではなくて楽しんで食事ができるのは素敵なことだと思います。
折角なら、しあわせな時を過ごしたいものだなとつくづく思うのでした。
幸せがなにかなんてわたしにははっきりと答えられないし、自分は幸せだなあと思うことはたくさんあるけれど、正直言って、何故そう感じてるのかなんてさっぱり。それでも、ごはん食べてる時とか、誰かが幸せそうにしているのを見るとほっとして、幸せだなぁとしみじみ思う。
— 佑/レポートチャレンジ。 (@yuimarl_miffy) 2017年8月19日