佑ごはんの時間。

気圧が天敵な新米主婦のごはんと生活。

足が攣りそうなくらいの全力の爪先立ち

 

気がついたら2017年の夏でした。

世間はオリンピックまであと3年を切ったとか、今年は記録的な暑さだとか、甲子園が始まったとか、台風が猛威を振るったとか、そんな話が騒がれてます。

わたしはこうして新しくブログを書き始めてます。

暑い、2017年、8月。

23歳、女子大学生2年目の夏。

 

 

 

以前は違うところで2013年からざざーっとたまにブログを書いてました。いや、始めたのはもっと前で、一度リセットかけて記事があったのが1番古くて2013年4月だったんですね。

当時は女子高校生だったのですよ。19歳になる年で、持病の線維筋痛症…これ、神経の誤作動でとにかく体が痛い病気とでも覚えてもらえればいいかしら。とにかく、その治療を始めてからまだ数ヶ月で。

2度目の留年を決めた、そんな時で、まだ全日制の地元の進学校と言われるような高校にいて。治療もう少し頑張りたくて休学を決意して、みたいな時期だったようでした。

 

そのブログは高校を変えたり、少し働いてみたり、痛みによる様々な障害を認定されたり、寝たきりになったり、 病院を変えたり、リハビリ始めたり、将来何になればいいのかを悩んでいたり、高校を卒業したり、大学生になったり、好きなアーティストのライブに行ったり、ボランティアを始めたり、四年の歳月を幼い文章で綴られてました。4年間で75の記事がありました。それらの記事のほとんどは6年間やった高校生の後半時に綴られたもので、普通なら高校生ではない時期にも病欠による留年だとかで高校生をしている自分が綴ったもので。

 

読み返しているうちに、それらとさようならをしたくなりまして。

 

いや、ブログをそのままにして、綴るのもいいかもしれない、幼かったあのころを残して、「記録」しておいたままにしててもいいかもしれない。わざわざ変える必要もないかもしれない。そんな気持ちもあったのだけれど、古い記事も全部消して、そこのブログも閉鎖してしまって、「記録」は消してしまおうと思ったのです。

 

単純にわたし自身が、過去に綴ったそれらを読んでいて、恥ずかしかったのはあると思います。

けれど、恥ずかしかったその理由は所謂「黒歴史」というものとはちょっと違ったのです。

 

 

19歳になる年から始めたブログ、高校生の頃の自分は、大人になりたくて、世界を見たくて、自分の現実と夢とに挟まれていたのが伝わってくるような感じでした。

 

2016年の11月ごろまでの記事、読んでいると、病気を受け入れてるフリをしていた。自分の現実、どうにもならないようなこと、この持病で学校を休むしかなくて起きた、留年とか休学とか当時は苦しかった転学も、とにかく平気な顔をしていた。実際はどうだったか覚えていないが、あの頃の自分は本当は平気なんかじゃなかったんだろうなと強く確信を持って言える。

ひたすら自分に言い聞かせるような話の書き方だったのです。当時はそんなこと思ってもなかったけれど。

今になれば、留年も休学も、転学も、全部後悔もしていないし、いい選択をしたと心から思っています。

言い聞かせたわけでもなんでもなく、素直に、ここまでの選択を認められる。間違っていたのか正しかったのかわからないけれども。

 

かつての自分は「大丈夫」だと必死に思い込みたかったのは、胸がヒリヒリと痛むくらいわかる。これが、この選択が吉と出るかなんてわからないのに、必死に正しいんだと言いたかったんでしょう。

 

今のわたしからしたら、あの頃のわたしは、足が攣りそうなくらいの全力の爪先立ちで生きてるみたい。

 

現実を見ているようで夢を見ていたんじゃないのかと言いたくなります。

 

世の中にはどうしようもないことってたくさんあったりするわけで、それは病気や事故や、人との死別や天災、と様々な形があるにしても、どんな人にも襲ってくる。しかし、そういうものだとわかっていても、人間というものは、いざ襲われると戸惑うし、覚悟を決めていたようで決まっていなかったりするようです。

 

全ての人間がそうだとは思わないけれど、厳しい現実を受け入れる、というのは容易くできなかったりするらしい。

予測できていても、対策を講じだとしてもどうにもできないような、できる限りのことをしていたのに襲ってくるような厳しい現実なら尚更。

 

わたしの場合は持病で、まあちょっと厄介で多くの人が聞きなれないであろう線維筋痛症というものがそうだったわけです。

それによって起きた留年だとかは仕方がないとわかっていても、少なくともまだ20歳にもならない、将来への不安だとかとうまく向き合えているとは言えないような多感な高校生にとって、そう割り切れるわけもなかった。

すんなり心に落とせるような話でもなかったりするのに、幼かったわたしは自分が割り切れていないことすら認めたくなかったみたいでした。

 

そんな認めたくない心や理不尽さや不条理さ、落ち着かない固まってしまった凍った感覚は時間とともにゆっくり溶けて、消化されて、自分の糧になっていくものなのか、なんなのか、今は、当時の自分を幼いなあと思います。あと、無理に大人になろうとしてたことを、素直に笑うことはできるようになっている。

 

だからこそ、記録として残していたくはなかった。

自分のそういう幼いところも認められるように少しだけなったし、以前は大人のフリをしていたかったけれど、「大人になりたい」と言えるようになったのも事実だから。

 

人がいうより自分がわがままなのも、相当めんどくさい性格なのも前よりずっと知っている。

治らないようなひたすら痛い病気を持っているとか、杖を使って歩くという現実もすとんと胸に落ちている。恥ずかしいとはこれまでも一度だって思ったことはなかったけれど、案外、自分自身で肯定できているかどうかとなると違っていた。

 

わざわざ記録を残してそれを見て自分の現実を受け入れようと言い続けることもしなくなったことに気がついた。少しだけ、等身大の自分を許してあげられるようになった分、かつてのわたしの記録はいらなくて「記憶」にだけ残しておこうと思ったのでした。

 

高校生の頃の不安は、今でも全てなくなってるわけではないし、現実の厳しさなんてそうそう変わらないものです。

 

わたし自身の痛みはどんどん強くなっているし、相変わらず数年前、まだ高校生であった自分と同じように将来、社会に出ていけるのかなとふと思うことも、不安で夜中に泣くこともある。

現実的な話でいえば、痛みで意識が朦朧としたり、失神したりもなくなったわけでもないし、毎日薬も飲んでいる。

ただいま、23歳通信制大学2年生。気圧に勝つのが1000年早いと主治医に言われる線維筋痛症患者。

こんな現実だって、すこし前のわたしにしたら、それだけできっと不安の塊だったことも気がつかなかったんでしょう。 

 

大きく成長したかってきかれたら、即答できます。「それはない。」

 

だけど、すこしだけ。ほんのすこしだけ。

過去の自分を受け入れられるようになったのは認めたいところですね。

あの頃自分を騙すようにして綴ったものとはサヨウナラしてしまいましょう。

 

そんなこんなでブログ、新しくなりました。

 

 

 

 

本当は背伸びしなくても歩いていける世界にいるのだから、不安も寂しさも、楽しさもしあわせも、そういうもの全部を、 認めて生きていけるようになりたいものです。

そんな簡単なことこそ案外難しいものなのだろうな、とつくづく感じますけれど、努力はしていきたいですね。